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旭川地方裁判所 昭和47年(ワ)284号 判決

原告

加藤トキエ

被告

富良野中富良野学校給食組合

主文

被告は原告に対し金二四一、四七一円とこれに対する昭和四七年九月八日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその一を被告の、その余を原告の各負担とする。

この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告は原告に対し一、二〇〇、〇〇〇円とこれに対する昭和四七年九月八日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者双方の主張

(原告の請求原因)

一  発生した交通事故

小沼清(以下小沼という)は昭和四三年七月二日午前一一時四五分ころ、小型トラツク(キヤブ・コンテナ型)の運転席横の座席に原告を乗車させ、北海道富良野市東布札別の道道上を運転走行中、悪路のため車両がバウンドし、原告は座席から跳ね上げられて車の天井に頭を打ちつけ、座席に落下して後頭部及び腰部を強打し、それにより頸椎、腰椎捻挫、頸腕症候群、両坐骨神経痛、外傷性神経症の傷害を負い、次のとおり医師の治療を受けた。

(イ) 昭和四三年七月二日から同月五日まで桜井産婦人科で通院治療

(ロ) 同年同月六日から同月一五日まで白井内科で通院治療

(ハ) 同年同月一六日から同年一一月二日まで石田皮ふ泌尿器科病院で通院治療(実治療日数は一二日)。

(ニ) 同年七月二二日から同四四年六月二日まで森山整形外科病院で通院及び入院治療(入院日数は同四三年七月二六日から同年一二月一八日まで一四六日、通院実治療日数は一六日)。

(ホ) 同四三年一二月一九日から同四四年三月一四日まで社会福祉法人北海道社会事業協会富良野病院で通院治療(実治療日数は四一日)。

(ヘ) 同四四年五月一七日から同四六年九月三〇日まで柳沢外科医院で通院及び入院治療(入院日数は同四四年六月五日から同年一一月三〇日まで一七八日、通院実治療日数は三一〇日)。

二  責任原因

被告は富良野中富良野学校給食センターの名称で給食事業を営み、原告及び右小沼は被告に雇われていたものであるところ、右事故当時右小沼は学校給食を運搬する業務として自動車を運転し、原告は右自動車に同乗して右運搬の補助業務に従事していたが、右事故現場は道路改良工事が施行され、片道通行中の悪路であつたから、右小沼は自動車運転者として自動車の動揺による衝撃のため同乗者が受傷しないよう予め注意し、最徐行するなどして衝撃を回避すべき義務があるのにこれを怠り、漫然進行した過失により、悪路のため自動車がバウンドして原告に対し前記のとおり傷害を負わせた。

右のとおりであるから、被告は右自動車の運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条により右事故のため原告の被つた損害を賠償する責任がある。

仮りに被告に右責任がないとしても、右事故は右小沼の過失により惹起したものであるから、被告は右小沼の使用者として民法第七一五条により右同様の責任がある。

三  損害 合計二、九九五、四五四円

(一) 診療関係費 八四九、五〇八円

(1) 治療費 七〇〇、二六八円

原告は治療費として次のとおり支出した。

(イ) 石田皮ふ泌尿器科病院へ 一七、一八六円

(ロ) 森山整形外科病院へ三七五、四二四円

(ハ) 北海道社会事業協会富良野病院へ 三一、六五六円

(ニ) 柳沢外科医院へ 二七六、〇〇二円

(2) 付添費 二八、〇〇〇円

右事故に起因する椎間板ヘルニヤ摘出手術のため一人で用便ができなかつたので、原告の夫加藤浪志が勤務を休んで付添した(一日一、〇〇〇円の割合による二八日分)

(3) 入院雑費 六四、八〇〇円

前記のとおり三二四日間入院したので一日二〇〇円の割合で算出した。

(4) 通院費 五三、〇〇〇円

前記通院治療のため、次のとおり交通費を支出した。

(イ) 森山整形外科病院の分 一五、三六〇円

960円(旭川―富良野間の往復鉄道賃)×16(日)=15,360円

(ロ) 石田皮ふ泌尿器科病院の分 一、四四〇円

960円(旭川―富良野間の往復鉄道賃)+480円(タクシー代)=1,440円

(ハ) 北海道社会事業協会富良野病院の分 八、二〇〇円

200円(タクシー代)×14(日)=8,200円

(ニ) 柳沢外科医院の分 二八、〇〇〇円

280円(タクシー代)×100(日)=28,000円

(5) 入退院費 三、四四〇円

前記入退院のため、次のとおり交通費を支出した。

(イ) 森山整形外科病院の分 三、一六〇円

960円(旭川―富良野間の往復鉄道賃)×3(人分)+280円(タクシー代)=3,160円

(ロ) 柳沢外科医院の分 二八〇円(タクシー代)

(二) 逸失利益 七四五、九四六円

就労不能と労働能力喪失により次のとおり得べかりし利益を失つた。

原告は本件事故当時被告組合に勤務し、一ケ月一三、〇〇〇円の給料と夏期手当一三、〇〇〇円、冬期手当一九、五〇〇円年間計一八八、五〇〇円の収入を得ていた。また原告は事故当時家事を行う主婦として一ケ月九、〇〇〇円相当の収入があると解すべきであり、この利益は年間一〇八、〇〇〇円となる。

(1) ところで、前記受傷により右勤務及び家事について、昭和四三年七月二三日以降少くとも同四五年七月二二日までの二年間就業が不能であつたから、その間の得べかりし利益五五一、九〇五円を喪失した。

(188,500円+108,000円)×1.8614≒551,905円

(2) 原告は前記事故による頸椎、腰椎捻挫の後遺症により頭痛、悪心、嘔吐、項筋痛、腰痛、左上下肢しびれ等の症状が今日まで継続し、自宅での静養をよぎなくされており、原告は嫁働能力を昭和四五年七月二二日から少くとも四年間にわたり二〇パーセント程度喪失すると推認されるので、この間原告は一九四、〇四一円の得べかりし利益を失うことになる。

(188,500円+108,000円×0.2×(5.1336-1.8615)≒194,041円

(三) 慰藉料 一、三〇〇、〇〇〇円

原告は、昭和四年九月二八日生(事故時満三九才)であること、傷害の部位、程度と治療の経過、後遺症の影響等を勘案し、さらに被告は昭和四五年一一月病気中の原告を無断で解雇し、原告は身体が回復しても、もとの職場に復帰できないし再就職が困難であること、右事故が間接的な原因となつて原告の夫浪志は昭和四五年四月二二日に死亡し、原告は現在生活保護を受けなければならない状況にあること、原告は昭和四五年に肝炎で四七日、肺炎で二三日入院治療したがこれは右傷害が影響しているものと思料されることを併せ考えると慰藉料として右金額が相当である。

(四) 弁護士費用 一〇〇、〇〇〇円

原告は本件訴訟の費用として一〇〇、〇〇〇円を竹原五郎三弁護士に支払うことを約した。

四  損害の填補 一、五四一、三五八円

(一) 被告からの弁済 九七七、四八四円(昭和四四年五月一六日以前に支払を受けた分)

(1) 六〇七、三六〇円 被告が支出した六一八、四八五円から昭和四三年七月分賃金一一、一二五円を差引いたもの。

(2) 三七〇、一二四円 被告が森山整形外科病院に医療費として支払つたもの。

(二) 社会保険からの弁済 六九、二七二円(うち三八、四一六円は柳沢外科医院への支払として昭和四四年五月一七日以降の治療費として残額はそれ以前の治療費として北海道社会事業協会富良病院へ支払われた分)

社会保険から支払われた北海道社会事業協会富良野病院の医療費三〇、八五六円と柳沢外科医院の医療費九七、四五三円の合計一二八、三〇九円から療養給付費返還金五〇、九三七円を差引いたもの。

(三) 労災保険からの弁済 三八四、六〇二円(昭和四四年五月一七日以降に支払われた分)

(1) 二〇六、〇五三円 労働基準監督署から支払を受けたもの。

(2) 一七八、五四九円 柳沢外科医院に対して支払われたもの。

(四) 自動車損害賠償責任保険からの弁済 一一〇、〇〇〇円(昭和四四年五月一七日以降に支払われた分)

後遺症一四級分の補償として受領したもの。

五  結論

右損害額合計二、九九五、四五四円から填補額合計一、五四一、三五八円を差引くと、残損害額は一、四五四、〇九六円となるのであるが、原告にも若干の過失があるものと思料するので、うち一、二〇〇、〇〇〇円とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四七年九月八日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の答弁)

一  請求原因一のうち、原告が自動車の座席から跳ね上げられて自動車の天井に頭を打ちつけ、座席に落下して後頭部および腰部を強打し、原告主張のような傷害を負つたことは否認する。原告がその主張のような医師の治療を受けたかどうかは知らない。その余の事実は認める。

二  請求原因二のうち、原告が小沼の運転行為により受傷したこと、右小沼に過失のあつたことは否認するが、その余の事実は認める。仮りに原告にその主張のような傷病があるとしても、当時原告の乗車していた車のバウンドの程度は極めて軽く弱いものであり、右小沼の運転行為と原告の傷病との間に因果関係がない。原告は昭和四二年一月一八日から同年四月二四日までビラン性胃炎、心筋症、外痔核で旭川市内唐沢医院において、同年一〇月慢性左膝関接炎、左上肢神経痛で富良野市内白井医院において、同四三年二月一〇日より同年六月一八日までビラン性胃炎、両下肢神経痛、肛門裂、腰部神経痛、肩こり症、左足関節打撲で右白井医院において治療を受け、右病状が原告主張の事故当時まで持続していたのである。

また、当時原告は右自動車の運転手小沼と被告の従業員山田未希子の間に乗車し、腰痛をかばうため持参の風呂敷包を腰にあて、椅子に幾分浅く腰をかけ、体を後部に倒し椅子の背にもたれるように乗車していた。運転手小沼は右悪路部分を通過する際、同乗者に対し悪路を通過する旨何回となく注意を与え、自動車の速力を落し、万全の注意を払つて運転していたものであり、原告においても何回もこの道路を通り悪路の状況を認識していたのであるから、原告の傷害が当時の自動車のバウンドによつて生じたとしても全く原告の不注意によるものであり、右小沼に過失はない。

三  請求原因三のうち(一)の事実は不知、同(二)、(三)の事実は否認、同(四)の事実は認める。

四  請求原因四の事実は認める。

(被告の抗弁)

一  右小沼に過失のないことは右に述べたとおりであり、自動車に構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたので被告には損害賠償義務はない。

二  原被告間において、昭和四四年五月一六日被告が原告に対し四〇〇、〇〇〇円を補償することが示談が成立してこれを支払い、原告はその余の請求権を放棄した。

(抗弁に対する原告の答弁)

被告の右各抗弁は否認する。被告主張の四〇〇、〇〇〇円の支払は内入弁済である。

第二証拠関係〔略〕

理由

一  発生した交通事故

〔証拠略〕によると、小沼清は昭和四三年七月二日午前一一時一五分ころ、小型トラツクの運転席横の座席に原告を乗車させ、北海道富良野市東布礼別の道路上の改良工事中の悪路を運転して走行した(以上の事実は当事者間に争がない)際、土塊に乗り上げて車両が大きくバウンドし、その衝動で原告は座席から跳ね上げられて腰部を座席に打ちつけ、一時首、腰等にしびれを感じ、その後腹痛を覚え、尿が出ないような症状になつたので、当日婦人科医師桜木武に診察を受けたところ、膀胱炎と診断されたこと、そして同日から同月一六日ころまで働きながら右医師および内科医師白井邦雄のもとに通い、膀胱炎の治療をしたがはかばかしくないので、同日石田皮ふ泌尿器科病院で治療を受け、そのころから勤めも休むようになつたこと、ところでその後も軽快に向わないので同月二二日森山整形外科病院で診断を受けたところ、頸椎、腰椎捻挫と判定され、同月二六日から同病院に入院して椎間板ヘルニヤの摘出手術を受けたことが認められ、右事実に〔証拠略〕を総合すると右頸椎、腰椎捻挫等の傷害は、右自動車乗車中の事故に起因するものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠がない。

被告は、原告の右傷病は右小沼の自動車の運転と因果関係がない旨主張し、〔証拠略〕によると原告は被告主張通りの病症により医師の治療を受けたことが認められるけれども、その症状は事故後のものとはかなり異つており、原告が事故後訴えている腰痛等に幾分寄与している点があるとしても、前記認定のとおり右小沼の運転と原告の右傷病との間に因果関係のあることが明らかである。

二  被告の責任

被告は富良野中富良野学校給食センターの名称で給食事業を営み、原告および右小沼は被告に雇われていたこと、右事故当時、右小沼は学校給食に関する業務として自動車を運転し、原告は右自動車に同乗して右運搬の補助業務に従事していたことは当事者間に争いがないので、被告は右自動車の運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条但書の規定に該当しない限り右事故により原告の被つた損害を賠償する責任がある。

そこで、被告は右事故の発生につき、右小沼に過失がない旨主張するので検討する。

〔証拠略〕によると、右事故現場は当時道路の改良工事が行われて、約五〇メートルの区間片側通行となつており、路面に凹凸の多い悪路となつていたので、右小沼は同乗者である原告および山田未希子に対し道が悪い旨を注意をして時速約二〇キロメートルの速度で進行中、約一五センチメートルの高さの土塊に乗りあげ、車を大きくバウンドさせ、前記事故を惹起したことが認められ、右事実からは右小沼において土塊の上を自動車が通過するのを避けることについても、また土塊の上に乗り上げるに際して、その衝撃を最少限度にとどめることについても十分な注意を払つたものと認めることができず、右小沼の自動車の運転に過失がなかつたとはいえない。

従つて、被告は原告に対し原告が右事故によつて被つた損害を賠償する責任がある。

三  原告の過失の有無

〔証拠略〕によると、原告は右事故の数日前、右小沼運転の自動車に同乗して右事故現場を通つているうえ、右事故直前に右小沼から道路が悪い旨告げられていたので、右事故現場が前記のとおりの悪路であることを十分認識していたこと、原告は右事故当時、運転手小沼と山田未希子の間に乗車していたのであるが、当日月経が始まつたばかりで体調が悪く、持参した風呂敷包を腰に当て座席に浅く腰をかけ後に上体を倒して背にもたれ、足を前方に出して寝るような格好で乗車し、車の動揺による衝撃に対して全く注意を払つていなかつたことが認められるので、右事故による原告の受傷につき原告においても乗車方法につき過失のあつたことが明らかであり、またその程度もかなり重大なものといえる。そして右認定に反する〔証拠略〕は信用することができない。

四  示談の成否

被告は、右事故につき原被告間において、昭和四四年五月一六日被告が原告に対し四〇〇、〇〇〇円を補償することで示談が成立してこれを支払い、原告はその余の請求権を放棄した旨主張するので、この点について判断する。

〔証拠略〕によると次の事実が認められる。

原告は右事故後、桜木婦人科医、白井内科医、石田皮ふ泌尿器科病院で膀胱炎の治療を受けていたが、昭和四三年七月二二日森山整形外科病院で診察を受けたところ、頸椎捻挫、頸腕症候群、左坐骨神経痛と診断され、同月二六日から同年一二月一八日まで入院して椎間板ヘルニヤ摘出手術を含む治療を受け、退院後も通院治療を受けていた。ところで、被告は当初原告の傷害が膀胱炎と診断されたため、右事故と関係がないものと考え、私病扱いにしていたのであるが、右森山整形外科病院の右診断によつて右事故に起因するものであることを認めて病院の所要経費ならびに給料の支払をすることに決め、また、自動車損害賠償責任保険の請求手続をするとともに、原告に対し昭和四三年七月分から同四四年四月分まで毎月一三、〇〇〇円宛の休業補償、夏期手当一三、〇〇〇円、冬期手当一七、一六〇円、付添看護費等損害賠償金として合計六〇、二〇〇円を支払い、森山整形外科病院に対する治療費全額を支払つてきた。しかるところ、原告は昭和四四年五月一四日旭川行政監察局に対し、右事故の処理について原告に対し市役所吏員が不親切で、その処置が納得できないとして苦情処理の申出をし、右行政監察局において調査のうえあつせん調停をした結果、当時の原告の病状は森山整形外科病院の診断によると、原告の症状は軽快し、今後この原因から症状悪化又は再発する事はなく、当分の間重労働は無理と考えられるが、軽作業に従事してもよいというものであつたので、爾後病状が悪化することがないという前提のもとに被告は原告に対し当日までの諸経費、慰藉料等合計四〇〇、〇〇〇円を支払うことで当事者間に合意ができ「1自動車損害賠償責任保険の事務手続を了したのでその査定がきまると、ただちに労働者災害補償保険法の第三者行為災害届を旭川労働基準監督署に提出する。この届の事業所証明については、所定事項記載の上捺印する。2労働者災害補償保険法が適用されている期間、事業所は厚生年金、健康保険各法に定められている事業主負担分について負担する。しかし労働者災害補償保険法の適用から除外された時点において、事業所が申出人に対し連絡をとり、健康保険法の任意継続被保険者となるよう加入手続をとらせる。3事故発生から入院中、そして退院にいたるまでの期間において、生活上の必要経費について四〇〇、〇〇〇円と認定した。したがつてこの補償(損害賠償)については事業所は昭和四四年五月三〇日を期限として支払うものとする。」という記載のある確認書を取り交し(確認書中には「生活上の必要経費について四〇〇、〇〇〇円」と記載されているが治療費の殆んど全部および休業補償、付添看護費等を被告において支出しているのであるからこの中に慰藉料分が含まれていることが明らかである)、被告は原告に対し右四〇〇、〇〇〇円の支払を了し、またその後自動車損害賠償責任保険から後遺障害に対する保険給付として一一〇、〇〇〇円を受領した。

そして右認定に反する証人松本茂俊、同小山弘、同村上繁の各証言中の原告が右事故によつて受けた損害については被告が原告に対し四〇〇、〇〇〇円を支払うことですべて解決されたという部分は右確認書中の「事故発生から入院中、そして退院にいたるまでの期間において」という記載(確認事項3)とその意味内容が著るしく異つており、そのまま信用することができない(もつとも同証人らは森山整形外科病院の原告に対する当時の診断内容から原被告間の問題は右示談によつてほぼ解決されたものと考えたことは明らかであるが、そうだからといつて右示談時以後の損害についてもそれによつてすべて解決したものとは認められない)。

そうすると、右示談時である昭和四四年五月一六日までの原告の損害については右示談によつてすべて解決されたことになるが、それ以後の損害については未解決のまま残されていることになる。

五  示談後の原告の損害

(一)  診療関係費 三三九、八八二円

(1)  治療費 二七六、〇〇二円

昭和四四年五月一七日から同四六年九月三〇日まで頸椎及び腰椎捻挫後遺症により柳沢外科医院で通院及び入院治療(入院日数は昭和四四年六月五日から同年一一月三〇日までの一七八日)し、治療費二七六、〇〇二円を要した(この事実は〔証拠略〕により認める)。

(2)  入院雑費 三五、六〇〇円

前記のとおり一七八日間入院治療を受けたので、通常少くとも一日二〇〇円の入院雑費を要するものと認められる(200円×178=35,600円)

(3)  通院費及び入退院費 二八、二八〇円

柳沢外科医院への通院費として一回につきタクシー代二八〇円を要したのであるが、少くとも一〇〇回通院し、二八、〇〇〇円を要し、また入退院のためにタクシー代二八〇円を要した(この事実は〔証拠略〕により認める)。

(二)  逸失利益 一六七、六〇〇円

原告は右事故当時被告組合に勤務し、一ケ月一三、〇〇〇円(日給六五〇円、稼働日数二〇日)の給料と夏期手当一三、〇〇〇円、冬期手当一九、五〇〇円、年間計一八八、五〇〇円の収入を得ていたことは当事者間に争がない。

さらに原告は、右のほか右事故当時原告が家事を行う主婦として一ケ月九、〇〇〇円相当の収入があるものと解すべきであると主張するので、検討する。〔証拠略〕によると、原告は右事故当時継続的に被告に雇われて終日被告の業務に従事していたほか、勤務時間外には家庭で主婦としての業務に従事していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで妻の家事労働を財産的にどのように評価するのが至当であるかは困難な問題であるが、家事労働の多様性、無償性等を考慮すると一般的には妻の稼働能力を問題としてこれを評価するほかないものというべきであるところ原告の如く一定の職に就いて終日これに従事しているような場合にはその稼働能力は特別の事情のない限り職業収入によつて十分評価されているものというべく、さらに勤務時間外における家事労働分を別に評価することはできない。

しかるところ、〔証拠略〕によると、原告は前記示談成立後少くとも昭和四四年一二月末(柳沢外科医院から退院後一ケ月経過した日)までは就業が不可能であつたものと認められるので、その間の得べかりし利益は同四四年五月分六、五〇〇円、同年六月から同年一二月まで毎月一三、〇〇〇円、夏期及び冬期手当相当分三二、五〇〇円合計一三〇、〇〇〇円となる。

〔証拠略〕によると、原告はその後も頭痛、眩暈、左上肢及び左下肢にしびれ感を訴え、昭和四六年九月三〇日まで時々柳沢外科医院で治療を受けたが、患部には器質的変化は全くなく、右医院においては原告の主訴にもとづき鎮痛剤などを投与する対症療法が行われたことが認められ、右症状、治療経過からすると昭和四五年一月一日から同四六年一二月三一日までの間、原告は稼働能力を一〇パーセント程度喪失したものと推定されるので、この間原告は三七、六〇〇円の得べかりし利益を失つたことになる。

(三)  慰藉料 五〇〇、〇〇〇円

前記認定の原告の負傷の部位、程度、前記示談の内容、示談の前後を通じての治療の経過、原告の訴える症状のうちに原告の持病が幾分寄与しているものと認められること、自動車損害賠償責任保険より後遺障害に対する保険給付として一一〇、〇〇〇円受領していること、原告は勤務時間外における主婦としての家事労働ができなかつたこと、原告の年令(昭和四年九月二八日生である)等を総合すると右示談後の慰藉料としては五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(四)  弁護士費用

原告が本件訴訟の弁護士費用として一〇〇、〇〇〇円を竹原五郎三弁護士に支払うことを約したことは当事者間に争がないところ、本件訴訟の審理経過、後記認容額等を勘案すると右金額のうち被告の負担すべき額を六〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

六  過失相殺

前記事故の発生につき原告にもかなり重大な過失のあつたことは前記三で認定したとおりであるからその過失割合を原告を四、被告を六として弁護士費用(六〇、〇〇〇円)を除く前記認定の損害額合計一、〇〇七、四八二円につき過失相殺すると六〇四、四八九円となり、原告の被告に対する損害賠償債権額は右金額に弁護士費用を加えた六六四、四八九円となる。

七  損害の填補

前記示談成立後の原告の治療費として柳沢外科医院へ社会保険から三八、四一六円、労災保険から一七八、五四九円が支払われ、また原告に対し労働基準監督署を通じて労災保険から二〇六、〇五三円が支払われたことは当事者間に争がないので、右合計額四二三、〇一八円を前記原告の被告に対する損害賠償債権額六六四、四八九円から差引くと二四一、四七一円となり、右金額が原告の被告に対する前記事故にもとづく損害賠償請求債権の残存額ということになる。なお前記示談成立後原告は自動車損害賠償責任保険より一一〇、〇〇〇円を受領していることは当時者間に争がないけれども、右保険給付は右示談中に予定されていたことは前示四に認定したとおりであるからこれを填補額に算入しない。

八  結論

以上のとおりであるから原告の本訴請求のうち右二四一、四七一円と本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年九月八日から右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余の部分は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷喜仁)

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